大きな味方になったのは、全国各地からやってきた延べ123万5,000人のボラン ティアであった。社会人、大学生、短大生、高校生、フリーアルバイターらが 次々と被災地に入り、救援物資の運搬、炊き出し、がれきの撤去などに汗を流 した。ほぼ7割はボランティア経験のない人々で、ほとんどが「何か役に立ち たい」という動機からだった。「他人には無関心」と言われていた若者たちが、 実はそうではなかったことを震災が実証してみせた。そのおかげで多くの避難 所で自治組織が生まれ、被災者は自立していった。いま、この大震災を教訓と して、ボランティア活動の支援システムづくりを全国的に推進しようという気 運が高まっている。
また、阪神・淡路大震災の被災者に対し、全国各地から救援物資や義援金が次 々に届けられたが、海外からも地震発生直後から物心両面にわたる援助の申し 出が相次ぎ、義援金は総額1,694億800万円(95年7月)にも及び被災地の人々 を励ました。
救援物資は、中国、韓国、台湾、香港、フィリピン、マレイシア、タイ、シン ガポール、インドネシア、ブルネイなど殆どのアジア諸国地域、そして、米国、 英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、ドイツ、フランス、メキ シコ、チリなど24か国・78団体からも届けられた。その量は、毛布約5万枚、 飲料水約200トン、ラーメンなどの食料品約1万箱、衣料品約20トン、粉ミルク約 70トン、合板10万枚にもなる。
人命救助活動においても、発生3日後にスイスの災害救助隊が捜索犬とともに 現地入りしたあと、米国、メキシコ、英国のレスキュー隊が続くなど、6団体・ 個人の計106人が活躍した。医療活動も、米国の「クリスチャンリリーフ」、 フランスの「国境なき医師団」など8団体・個人の計80人が避難所や保健所な どを回って行い、住民に感謝された。
現地で指揮をとる兵庫県知事、神戸市長には国内のみならず、シアトル、マル セイユ、天津の各市長はじめ世界各国の市長、州知事、大使らからお見舞いと 励ましの電報が連日のように舞い込んだ。